東電福島原発事故の被害の実態と、原因・責任を解明し、人権の回復と、脱原発社会を目指す、法律家・科学者・ジャーナリストのネットワークです
コ ラ ム
日本人の倫理
2013年9月30日
「汚染水が溢れそうだ」「地下水が汚染されている」「汚染水は既に海に流れ出ている」といったニュースが立て続けに流れている中、安倍首相は9月7日、IOC総会で、「状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えるようなことを許したりはしない」「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内の中で、完全にブロックされている」と述べ、胸を張った。
しかし、それが真っ赤なウソであることは世界中が知っている。東電でさえ、技術顧問の山下和彦フェローは13日、「予想されるリスクを評価しながらコントロールしている。ただ、想定を超えてしまうことが起きていることは事実で、今の状態はコントロールできていないとわれわれは考えている」と語っている。
ウソでも本当でも、既成事実を作ってどんどん進めるという、それこそ、ナチスばりの「手口」は、財界人を引き連れての「原発輸出ツアー」や、ニューヨーク証券取引所での「日本は原子力発電の技術を放棄しない。福島第一原発の事故を乗り越え、世界最高レベルの安全性をもって、世界に貢献していく」という演説にも表れている。
「ウソも百回言えば本当になる」という言葉は、ナチの宣伝相ゲッペルズの発言だとされているが、こういう姿勢を見てつくづく思うのは、こういう破廉恥な姿勢の首相と、そういう政治家を許しているわれわれ国民の倫理観はどうなっているのだろう、ということだ。別に難しいことを言う気はないが、やはり問われているのはわれわれの「民度」だ。
原発については、もともと、使用済み核燃料などの廃棄物をどう処理するか決められないまま、「何とかなるはず」とやってきた。まるで、対米戦争を始めたときの日本だ。
これから10万年間、管理しなければならない、という「トイレのないマンション」の話も、労働者が完全に放射能を浴びないで稼働はできない、という「人柱労働」のシステム。どちらも、「非道徳」きわまっているのが、原発ではないか。
事故後、講演してくれたある「良心的な」原発科学者に、立ち話で聞いたことがある。「先生、だけど僕は、どうしても廃棄物の最終処分は危ないと思うんですが、学会や会社や、政府はどう考えているんですか…」。
彼はいとも簡単に答えた。「あ、それは後世の人に考えてもらうしかないんです…」。私は「ふうん…」と言ったきり、二の句が継げなかった。
「原発」は、自分自身の生き方について、子どもたちに対して、歴史とか時代に対して、未来の人類に対して、「誠実」とはどういうことか、を考えさせてくれている。
丸山 重威(日本ジャーナリスト会議)
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